日野・コンテッサ

2010年03月01日

コンテッサ(Contessa)は、かつて日野自動車が製造していた乗用車である。

日野自動車が1953年にルノー4CVのライセンス生産で得た経験をもとに開発したリアエンジン・リアドライブ方式の乗用車である。

同社が自社開発した唯一の乗用車でもあり、同時に同社最後の乗用車となった。1961年に総排気量893cc、出力35psのエンジンを搭載する「コンテッサ900」として登場した。4ドアセダンのみの設定で、丸型2灯ヘッドライトであった。ボディクラスはルノー・ドーフィンと近似したものとなった。

駆動方式やサスペンションなどの基本的レイアウトは従来の日野ルノーを踏襲し、エンジン排気量もルノー・エンジンの拡大型と言うべきものであった。技術的特徴としては、シフトリンケージの工夫によりリアエンジン車ながらコラムシフト方式を実現し、オプションで電磁式自動クラッチが装備されていた点が挙げられる。

1963年にはコンテッサ900をベースにジョバンニ・ミケロッティのデザインで2ドアクーペのコンテッサ900スプリントが発表されたが、諸般の事情により量産化されず、「幻の名車」となっている。1965年まで生産された。

4灯ヘッドライトと細いピラー、長いテールを基本とするデザインは、コンテッサ900スプリント同様、ジョバンニ・ミケロッティが手がけ、その優雅なスタイリングから、セダン・クーペとも、イタリアのコンクール・デレガンスで複数年に渡り多数の賞を受賞する成功作となった。

エンジンはルノー拡大型の900から一転し、日野の自社設計による総排気量1251cc、出力55psの「GR100」が開発された。ロングストロークOHVだが4気筒5ベアリング・クロスフロー弁配置の高速型エンジンである。シリンダーの全高が高いためエンジンブロックを傾斜配置とし、キャブレターのパーコレーション対策とコールドスタート対策双方に意を払った設計が行われている。

またラジエターの配置はエンジンルーム後端となったが、冷却手法が「ルノー・8」の設計と同一になって企業間トラブルとなることを回避するため、垂直に立った後端グリルから冷却風を吸気するという常識では考えられない異例の手法を敢えて採用しつつ、実用面で問題ない冷却性能を確保した。セダンモデルの公称最高速度は135km/hであった。

シャーシも改良され、リアエンジン車故の不安定さが強かった900に比べて、操縦性の大幅な改善を実現した。ギアシフトについては900の遠距離リンケージによるコラムシフトやオプションの電磁クラッチなどを踏襲し、のちフロアシフトモデルも追加されている。

当初は4ドアセダンのみの設定で、デラックスモデルは4灯、スタンダードモデルはライトケース形状のみを流用した外側寄り2灯であった。

翌1965年には2ドアクーペが新たに設定された。この2ドアクーペは圧縮比を8.5から9.0に上げ、出力を65psに強化、最高速度145km/hを公称している。ミケロッティが 900スプリントのモチーフも採り入れて低くデザインしたこのクーペは、1960年代の日本製乗用車の中でも屈指の美しいデザインを持つモデルとなった。

当時の日本製乗用車の中でも性能やスタイリングは傑出しており、少量ながら欧州などへも輸出された。しかし、このモデルが発売開始された時期には1000ccを超えるクラスの小型乗用車の主流はすでにフロントエンジンに移っており、国内販売も振るわなかったこともあって、日野がトヨタ自動車と提携した翌年の1967年にはトヨタ製乗用車との競合回避のため、生産を終了した。

このコンテッサを最後に、日野は乗用車の自主開発から撤退し、「パブリカ」商用モデルなどトヨタの一部車種を受託生産することとなった。

1965年、900スプリントと同じ手法でDOHC搭載の1300スプリントも作られ欧州でテストランが繰り返されたが発売には至らなかった。

1966年には1500ccのエンジンが試作され、コンテッサ1500として販売する予定だったが、トヨタとの提携で開発は中止となった。現在、この試作エンジンは「幻のコンテッサ1500用エンジン」として日野オートプラザに展示されている。


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